関東地方の観光地

偕楽園(かいらくえん)

偕楽園は、水戸市にある日本庭園で、岡山県の後楽園、石川県の兼六園とともに日本三名園の一つに数えられる。偕楽園の偕楽とは『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節にちなんだものである。1833年(天保4年)水戸藩第9代藩主徳川斉昭は、水戸の千波湖に臨む七面山に庭園を造ろうと考え、長尾景徳に造園を命じた。偕楽園には100種3000本以上の梅が植えられており、毎年6月第2土・日曜日に、梅の実を頒布している。(有料1.5kg200~300円程)

鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)

鹿島神宮は、鹿嶋市宮中にある神社で、全国にある鹿島神社の総本社。主祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)。カシマの由来には諸説あり、建借間命(たけかしまのみこと)から「カシマ」を取ったとする説、「神の住所」より「カスミ」とする説、「船を止める杭を打つ場所」を意味する「カシシマ」とする説等がある。

大宝元年(701年)に正殿・仮殿が造営されたとされ、現在の主要社殿は、元和5年(1619年)、徳川秀忠の命によって造営されたものである。

直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)が国宝に指定。

本殿、石の間、拝殿、幣殿 4棟、摂社奥宮本殿、楼門等が重要文化財に指定されている。

霞ヶ浦(かすみがうら)

霞ケ浦は、茨城県南東部の湖。琵琶湖についで日本で二番目に大きい湖。元々は太平洋の入り江であったが、砂州や堆積物によって出口を閉ざされてしまった。かつては汽水であったが、1963年頃から治水と塩害防止の為、常陸川水門を使用することで淡水化が進み、現在はほぼ淡水となっている。 霞ヶ浦ではワカサギ、シラウオ、コイ、フナ、ウナギ、アユ、ボラ、レンギョ(ハクレンなど)、イサザアミなど様々な魚が生息、漁獲されている。

栃木県の観光地

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)

日光東照宮は、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る。また久能山東照宮・上野東照宮と共に三大東照宮の一つに数えられる。

隣接する仏教寺院の輪王寺は、勝道による日光山開山を奈良時代の天平神護2年(766年)とする。その後、鎌倉幕府創始者の源頼朝からも寄進を受けた。頼朝は、母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた。

江戸時代の元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(静岡市)で死去した。遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見たが、翌・元和3年(1617年)に二代将軍秀忠が天海僧正に命じ下野国日光に改葬されることとなった。家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されている。

本殿、石の間および拝殿1棟、正面および背面唐門 2棟、東西透塀 2棟、陽明門 1棟、東西回廊 2棟の5件8棟が国宝に指定されている。そのほか34棟が重要文化財に指定されている。美術工芸品では、太刀 銘助真(附:打刀拵)(日光助真)、太刀 銘国宗(附:糸巻太刀拵)が国宝に指定されている。

鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)

鬼怒川温泉は、栃木県日光市鬼怒川地区(旧藤原町区域)の鬼怒川上流域にある温泉。箱根や熱海と並んで「東京の奥座敷」と呼ばれ、年間200万人以上の宿泊客で賑わう。古くは滝温泉という名前で、1691年に沼尾重兵衛が鬼怒川右岸で源泉を発見されたとされる。鬼怒川沿いに約40軒のホテル旅館の他、リゾートマンションや企業の保養所などが連なり、市営の公共浴場や足湯の他、民間の入浴施設も多数ある。

群馬県の観光地

富岡製糸場

富岡製糸場は、群馬県富岡市に設立された日本初の本格的な機械製糸の工場である。1872年(明治5年)にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている。

草津温泉

草津温泉は、群馬県吾妻郡草津町草津界隈に所在する温泉で、草津白根山東麓に位置する。標高1100~1200mの高地に温泉街が広がっている。

毎分3万2300ℓ以上の自然湧出量は日本一。室町時代には万里集九が有馬温泉や下呂温泉とともに「三名泉」とし、江戸時代には林羅山もこれらの三温泉を「天下の三名泉」と記した。

当地における「草津」という地名の語源は、温泉の硫化水素臭の強いがゆえに、「臭水(くさみず、くさうず、くそうず)」にあるとされる。

源泉は、公的に管理している大源泉が6つ存在するほかホテル等が所有している小源泉も多数存在する。自噴する温泉の湯量は極めて豊富であり、湯温も摂氏50~95度前後と高い。昔から、草津節などを唄いながら湯もみ板で温泉をかき回し湯温を下げる、「湯もみ」が行われてきた。温泉街には、湯畑を始めとする大小様々の源泉がある。

なお、湯畑を始めとする源泉には緑色の湯垢のようなものが見られるが、これは温泉藻である。

埼玉県の観光地

長瀞渓谷(ながとろけいこく)

長瀞渓谷は、埼玉県秩父地方に位置する荒川上流部の渓谷。全長約6km。岩畳など岩石の間を緩やかな流れ(瀞)が長く続くことから、長瀞と呼ばれてきた。1924年(大正13年)12月9日に「長瀞」名義で国の名勝及び天然記念物に指定されている。範囲は秩父郡長瀞町のほか、上流の皆野町内の川岸も含み、長瀞玉淀自然公園の一部でもある。ライン下りと岩畳が有名で、カヌーやラフティング、キャンプができる。名物は豚のみそ漬けと天然氷のかき氷。

秩父夜祭(ちちぶよまつり)

秩父夜祭は、毎年12月1日から6日に秩父市で行われる秩父神社の例祭である。12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車の曳き回しや、冬の花火大会で知られている。300年以上の歴史があり、一連の行事が国の重要無形民俗文化財に指定されている。

秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられる。

秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられる。笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれ、国の重要有形民俗文化財に指定されている。

川越氷川祭(かわごえひかわまつり)

川越氷川祭は、毎年10月第3日曜日とその前日の土曜日に行われる川越市の川越氷川神社の祭礼で、一般には川越まつりと呼ばれている。常陸國總社宮大祭・佐原の大祭と並び関東三大祭りの一つと称されることが多い。。360年以上にわたり続いてきた祭事で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。また2016年にはユネスコの無形文化遺産に登録された。2日間で80万人以上の人出を数える。

千葉県の観光地

九十九里浜(くじゅうくりはま)

九十九里浜は、千葉県東部の刑部岬から太東崎までに及ぶ、日本列島最大級の砂浜海岸で、全長は66キロメートルにも及ぶ。『日本書紀』景行紀の見られる古名は「玉浦(玉の浦)」であり、両端には玉前・玉崎神社がある。

源頼朝の命で1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里矢指ヶ浦」と言われるようになったとの説が有名で、中央とされる山武市の旧蓮沼村には箭挿神社があり、「矢指浦」という別称がある。

成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)

成田山新勝寺は、千葉県成田市成田にある真言宗智山派の寺院であり、同派の大本山の一つである。本尊は不動明王で、当寺は不動明王信仰の一大中心地である。そのため、成田不動、お不動さまなどといった通称でも広く親しまれてきた。

開山は平安時代中期の天慶3年(940年)と伝えられる。初詣の参拝客数は、2006年に約275万人、2007年に約290万人を数えており、社寺としては明治神宮に次ぐ全国第2位である。

東京都の観光地

浅草寺(せんそうじ)

浅草寺は、台東区浅草二丁目にあり、正式には金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)。聖観世音菩薩を本尊とし、浅草観音とも言われる。

東京タワー

東京タワーは、東京都港区芝公園にある総合電波塔。1958年(昭和33年)完成に完成。正式名称は日本電波塔。高さは333メートルで、現在は東京スカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物である。

東京スカイツリー

東京スカイツリーは、墨田区押上にある電波塔。高さは634 メートルで、タワーとしては世界第1位。2012年(平成24年)完成。

山梨県の観光地

清白寺(せいはくじ)

清白寺は、山梨県山梨市にある寺院。宗派は臨済宗妙心寺派、山号は海涌山(かいゆうざん)、本尊は釈迦如来である。

大善寺(だいぜんじ)

大善寺は、山梨県甲州市勝沼町にある仏教寺院。宗派は真言宗智山派、山号は柏尾山、本尊は薬師如来である。

長野県の観光地

松本城(まつもとじょう)

松本城は、松本市にある城で、以前は深志城(ふかしじょう)といった。天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)。

戦国時代の永正年間(1504~1520年)に、小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。

5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている。

1936年(昭和11年)には天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年(昭和27年)これら5棟が文化財保護法により改めて国宝に指定されている。

善光寺(ぜんこうじ)

善光寺は、長野市元善町にある無宗派の仏教寺院。住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)で、絶対秘仏である。善光寺如来は由緒ある像として権威の象徴とも見なされ、戦国時代には大名が自領に善光寺如来を遷座させ、各地を転々とした。

本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、天竺の月蓋長者が鋳写したものとされ、百済王から日本に献呈された最古の仏とされる。この仏像は廃仏派の物部氏によって難波の堀江に捨てられるが、本田善光(若麻續東人)に拾われ、信濃の元善光寺へ、次いで現在地に遷座したと伝えられる。ここまでは伝説であり、実際の創建の経緯は不明である。有力なのは、天武天皇時に日本全国で造られた郡寺のひとつで、金刺氏が創建に関わったという説である。

善光寺に用いられていたのは「川原寺式瓦」というものであるが、この瓦は地方豪族のいた地域のみに存在していることから、善光寺は地元の豪族(金刺氏)の影響を強く受けていると考えられる。善光寺のものと確証が得られている訳ではないが、境内の遺跡から出土した古代寺院の古瓦は9世紀の物と鑑定されている。これらのことから、遅くても平安時代初期頃までには瓦葺きの建物を持つ寺が現在地にあったのは確かなことである。

神奈川県の観光地

鎌倉大仏

正式名称を銅造阿弥陀如来坐像と言い、昭和33年(1958年)国宝に指定されている。 像の高さは11.39メートルで、台座を含めると13.35メートルにもなる。重量は約121トンあり、これは推定ではなく実際に23台のジャッキを用いて大仏を持ち上げ、2回計測を行った平均である。1252年頃から造立が開始されたと考えられており、その鋳造には宋からの中国銭が使用されたと推定されている。尚、大仏の内部は空洞になっており、中に入って見学することができる。

円覚寺(えんがくじ)

円覚寺は、鎌倉市山ノ内にある寺院であり、臨済宗円覚寺派の大本山。本尊は宝冠釈迦如来である。

弘安5年(1282年)鎌倉幕府8代執権北条時宗が、元寇(文永・弘安の役)の戦没者追悼のために創建した。円覚寺では元寇により亡くなった、日本の武士とともに元の兵士も等しく供養されている。

昭和26年(1951年)に円覚寺舎利殿が、昭和28年(1953年)には梵鐘が国宝に指定されている他、多数の工芸品、絵画、古文書等が国の重要文化財に指定されている。重要文化財に指定されている。

鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)

鶴岡八幡宮は、鎌倉市雪ノ下にある神社。祭神は応神天皇 (第15代天皇)、比売神 (ひめがみ)神功皇后 (応神天皇の母)となっている。源氏の守り神であり、源頼朝ゆかりの神社としても知られる。

1063年源頼義が、京都の石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷鶴岡に分霊したのが始まりとされる。その後、1180年頃源頼朝が宮を現在の地に遷した。

文政11年(1828年)に徳川家斉が再建した本宮(上宮)、 徳川家慶建立の大鳥居、末社丸山稲荷社本殿等が国の重要文化財に指定されている他、刀剣や工芸品が国宝に指定されている。

高徳院(こうとくいん)

高徳院は鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院であり、本尊は鎌倉大仏。かつては大仏殿が存在していたことが確認されているが、不明な点が多く、数度の倒壊再建を繰り返した後、現在は再建されていない。大仏殿の礎石の跡とみられる石が53個存在する。平成16年(2004年)鎌倉大仏殿跡として国の史跡に指定された