
松本城(まつもとじょう)

松本城は、松本市にある城で、以前は深志城(ふかしじょう)といった。天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)。
戦国時代の永正年間(1504~1520年)に、小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。
5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている。
1936年(昭和11年)には天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年(昭和27年)これら5棟が文化財保護法により改めて国宝に指定されている。
善光寺(ぜんこうじ)

善光寺は、長野市元善町にある無宗派の仏教寺院。住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)で、絶対秘仏である。善光寺如来は由緒ある像として権威の象徴とも見なされ、戦国時代には大名が自領に善光寺如来を遷座させ、各地を転々とした。
本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、天竺の月蓋長者が鋳写したものとされ、百済王から日本に献呈された最古の仏とされる。この仏像は廃仏派の物部氏によって難波の堀江に捨てられるが、本田善光(若麻續東人)に拾われ、信濃の元善光寺へ、次いで現在地に遷座したと伝えられる。ここまでは伝説であり、実際の創建の経緯は不明である。有力なのは、天武天皇時に日本全国で造られた郡寺のひとつで、金刺氏が創建に関わったという説である。
善光寺に用いられていたのは「川原寺式瓦」というものであるが、この瓦は地方豪族のいた地域のみに存在していることから、善光寺は地元の豪族(金刺氏)の影響を強く受けていると考えられる。善光寺のものと確証が得られている訳ではないが、境内の遺跡から出土した古代寺院の古瓦は9世紀の物と鑑定されている。これらのことから、遅くても平安時代初期頃までには瓦葺きの建物を持つ寺が現在地にあったのは確かなことである。
