
清水寺

京都市東山区清水1丁目にある北法相宗の大本山の寺院。本尊は十一面千手観世音菩薩。正式には音羽山清水寺と号する。平安京遷都以前からの歴史をもつ京都では数少ない寺院の1つである。
宝亀9年(778年)に、大和国の興福寺の僧賢心(後に延鎮と改名)が、年齢200歳になるという行叡居士の残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。後に坂上田村麻呂が自邸を本堂として寄進した。延暦17年(798年)、田村麻呂は延鎮と協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として毘沙門天と地蔵菩薩の像を造り、共に祀ったという。この縁起により、清水寺では行叡を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけている。
本堂は1952年(昭和27年)に国宝に指定されており、「清水の舞台から飛び降りる」ということわざで有名な舞台の高さは約13mである。
二条城

正式名称は元離宮二条城である。京都市街の中にある平城で、足利氏・織田氏・豊臣氏による二条城もあったが、現存するものは徳川家の城である。江戸城の分身の役割として、京都御所・公家町および洛中の守護、家康上洛時の居城として造営した城である。
二条城では徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀、江戸幕府による禁中並公家諸法度の公布。幕末期は徳川慶喜の居城となり大政奉還の上奏。離宮時代には大正天皇の行啓や饗宴の儀などが行われた。
明治維新により徳川将軍家から接収された二条城は、1884年に皇室の「二条離宮」へ変遷した。その後、1939年(昭和14年)二条離宮は京都市に恩賜され、元離宮二条城と改称して現在に至る。
城内全体が国の史跡に指定されており、二の丸御殿が国宝に指定されている。本丸御殿をはじめ、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、小堀遠州の代表作と知られる二の丸庭園が特別名勝に指定されている。
1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に洛中唯一の城郭建築として「古都京都の文化財」として登録された。
金閣寺

鹿苑寺は、京都市北区金閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院である。本尊は聖観音となっており、内外に金箔が貼られていることから金閣寺とも呼ばれている。正式名称は北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)である。
寺名は室町幕府第3代将軍足利義満の法号「鹿苑院殿」にちなんでつけられた。義満の北山山荘を死後に寺としたものである。応永6年(1399年)に金閣寺舎利殿が完成したと推定されている。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築だったが、1950年(昭和25年)に放火により焼失し、1955年(昭和30年)に再建された。
また1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録された。

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