
吉備津神社(きびつじんじゃ)

吉備津神社は、岡山市北区吉備津の吉備中山にある神社で、主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。
古来より吉備中山は神体山とされており、吉備津神社の東には吉備津彦神社がある。
現在の本殿・拝殿は、明徳元年(1390年)室町幕府3代将軍の足利義満が造営(完成は1425年)したもので、日本で唯一の比翼入母屋造(吉備津造)となっている。昭和27年(1952年)本殿・拝殿合わせて国宝に指定された。その他、南随神門、北随神門、北随神門、木造獅子狛犬 1対が重要文化財に指定されている。
五・一五事件で有名な第29代内閣総理大臣犬養毅も吉備津神社を崇敬しており、神池には犬養毅の銅像がある。

岡山城(おかやまじょう)

岡山城は、岡山市北区にあった城で、烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)とも呼ばれる。戦国時代、宇喜多氏が本拠とし、その後小早川氏や池田氏により整備が進められた。
1300年代中盤に名和氏の一族が築いた城が始まりとされており、その後約150年間の城主は定かでない。1520年頃松田氏に仕える金光氏が城主となったが、元亀元年(1570年)、金光宗高が宇喜多直家に謀殺されてしまう。その後、正元年(1573年)、宇喜多直家は亀山城(沼城)から石山城(岡山城)に入城した。
昭和6年(1931年)天守が国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)の岡山大空襲で天守・石山門は焼失してしまった。現在の天守は、昭和41年(1966年)に完成した鉄筋コンクリートのもの。復元天守の内部は博物館となっており、周辺には後楽園がある。
後楽園(こうらくえん)

後楽園は、岡山市北区にある日本庭園で、江戸時代初期に岡山藩主池田綱政の命により、津田永忠の手で造営された。石川県の兼六園、茨城県の偕楽園ともに日本三名園とされている。
貞享4年(1687年)から、途中洪水の被害も受けつつも約14年の年月をかけ完成した。慈眼堂、茂松庵、延養亭などの建造物や栄唱橋、平四郎の松、花交の池といった名所が見られる。明治17年(1884年)一般に公開され、太平洋戦争経て、昭和42年(1967年)に園内の全ての建造物の復元が完了した。昭和27年(1952年)には国の特別名勝に指定されている。
