中部地方の観光地

白川郷・五箇山の合掌造り集落

飛越地方の白川郷と五箇山にある合掌造りの集落群である。1995年(平成7年)12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、日本では6件目の世界遺産となった。

白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)は、飛越地方庄川流域の地名で、白川郷は上流域、五箇山は中流域である。この地域は、白山信仰の修験者や平家の落人伝説とも結びつきが深い。

江戸時代の白川郷は高山藩領と浄土真宗照蓮寺領となった。一方の五箇山は加賀藩領となり、塩硝生産が保護されていた。塩硝は火薬の原料となる硝酸カリウムで、五箇山では雑草と蚕の糞を利用して抽出する培養法が行われていた。

下呂温泉

岐阜県下呂市森にある温泉。アルカリ性単純温泉、源泉温度84度。

10世紀頃に、現在の温泉地の東方にある湯ヶ峰の山頂付近に温泉が湧出したのがはじまりである。1265年(文永2年)に山頂からの湧出は止まったが、飛騨川の河原に湧出が発見された。湯口の移動により、湯ヶ峰に安置してあった薬師如来像を村里に移動し、温泉寺とした。

室町時代に、五山僧・万里集九が草津・有馬とともに天下三名泉として全国に紹介した。1621年には林羅山も著書の中で草津・有馬とともに名湯として挙げている。当時の泉名は「湯島」と言い、その後、湯之島温泉が下呂温泉の別名としても使われた。

「下呂」の名の起源は「続日本紀」によると、下呂温泉の付近には美濃国の菅田駅と飛騨国大野郡の伴有駅(上留駅)があった。しかし、この2つの駅間は遠かったため、中間に駅を新設することとなり、下留駅(しものとまりえき)を置いた。これが下留(げる)と音読みするようになり、転じて現在の音と表記になった。

静岡県の観光地

富士山

富士山は、静岡県と山梨県に跨る活火山である。標高3776.12 m、日本最高峰の独立峰。

富士山についての最も古い記録は『常陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われている。他にも多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と表記する古文献もある。「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称されたという説もある。

久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)

久能山東照宮は、静岡市駿河区根古屋に所在する神社である。晩年を駿府(静岡市葵区)で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去、遺命によってこの地に埋葬された。

元和3年(1617年)12月には江戸幕府第2代将軍徳川秀忠によって久能山東照宮の社殿が造営。家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、日光東照宮もほぼ同時期に造営が始まっている。日光東照宮は第3代将軍徳川家光の代の「寛永の大造替」で、徳川家康を祀る東照宮の総本社的存在となった。

久能山の南斜面に設けられた表参道を登った上に神社がある。2010年(平成22年)に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。

愛知県の観光地

熱田神宮(あつたじんぐう)

愛知県名古屋市にある熱田神宮は、三種の神器の草薙剣を祀った神社。伊勢神宮、明治神宮とともに日本三大神宮とされている。ご神体の草薙剣は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の別称で天皇の持つ武力の象徴である。

神話では、スサノオが出雲でヤマタノオロチを退治した際、尾から見つかったとされ、その後にアマテラスに献上したといわれる。熱田神宮にある本体と、皇居には形代と呼ばれる依り代があが、本体は見ることができないため、どのような姿かはっきりとは分かっていない。

三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)は本体が伊勢神宮内宮に、形代が皇居にあり、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は本体が皇居に、形代はない。

名古屋城(なごやじょう)

名古屋城は、愛知県名古屋市中区本丸・北区名城にある日本の城。別名としては、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」、「名城(めいじょう)」、がある。大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられている。今川氏が築いた那古野城(なごやじょう)の跡地に、徳川家康が築城したと言われており、以降明治維新まで徳川御三家の尾張徳川家の居城であった。

1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で、残存していた大小天守、本丸御殿の一部は大部分が焼失してしまったが、西南隅櫓など6棟は焼失を免れて現存している。1952年(昭和27年)に城域内が国の特別史跡に指定された。

犬山城(いぬやまじょう)

犬山城は、愛知県犬山市(旧丹羽郡)、木曽川南岸にあった城。江戸時代までに建造された天守が現存する「現存12天守」の一つ。1935年(昭和10年)、当時の国宝保存法に基づき、国宝に指定。その後、1952年(昭和27年、文化財保護法に基づき、改めて国宝に指定された。また天守が国宝指定された他の4城は、姫路城・松本城・彦根城・松江城。また、2004年まで個人が所有していた城である。

文明元年(1469年)応仁の乱の際、織田敏広の弟・織田広近が築いた砦が始まりといわれる。現存する天守が建てられたのは、成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろとされている。

三重県の観光地

伊勢神宮(いせじんぐう)

伊勢神宮は、三重県伊勢市にある神社。正式名称は「神宮」(じんぐう)である。「お伊勢さん」「大神宮さん」とも呼ばれる。現在は神社本庁の本宗(ほんそう。全ての神社の上に立つ神社)であり、「日本国民の総氏神」とされる。

伊勢神宮には天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ。天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮には天照大御神の御神体として、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)が奉安されている。

天武天皇・持統天皇の時代に、伊勢神宮の祭祀の諸制度や社殿が整備された。また内宮の式年遷宮も690年に開始され、その2年後に外宮の式年遷宮も開始された。神宮神嘗祭(かんなめさい)や月次祭(つきなみのまつり)など神宮祭祀の諸制度も整備され、奈良時代からは朝廷より例幣使が派遣されることとなった。

鈴鹿サーキット(すずかサーキット)

鈴鹿サーキットは、三重県鈴鹿市にあるレーシングコースを中心としたレジャー施設。F1日本グランプリや鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られる事から、日本モータースポーツファンの聖地でもある。日本初の全面舗装と観客席の両方を備えたサーキットとして、1962年に本田技研工業(ホンダ)によって建設された。

1936年にオープンした多摩川スピードウェイの1950年代末の廃止後、国内の常設サーキットは未舗装の浅間高原自動車テストコースしかなく、代替コース建設案も進展しなかった。本田宗一郎は、レースの勝利とモータースポーツの普及のためには本格的なサーキットが必要であるとし、自社で建設するよう決断。1962年9月に鈴鹿サーキットが完成した。