
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)

太宰府天満宮は、福岡県太宰府市宰府にある神社。菅原道真を学問の神として祀る天満宮の一つ。初詣の際には毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者がある。
菅原道真は昌泰4年(901年)藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に左遷され、延喜3年(903年)に死去した。その死後、道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた藤原仲平が大宰府に下向。道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工した。これが安楽寺天満宮である。わずか30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇1人・皇太子2人・右大臣1名以下の高級貴族が死亡した。

博多どんたく
博多どんたくは福岡市で毎年5月3日と5月4日に開催される祭りである。正式名称は「福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり」。動員数は毎年200万人を越える。
「博多どんたく」は博多松囃子を母体として形成・発展してきた。博多の豪商神屋宗湛の『宗湛日記』によれば、文禄4年10月(1595年)に筑前領主小早川秀秋の居城であった名島城へ、博多の町人が松囃子を仕立て年賀の祝いを行ったと記されているのが最古の記録である。この博多松囃子は、貝原益軒の『筑前国続風土記』によると、治承3年(1179年)に病没した平重盛に博多の者が恩を謝すため始まったと伝えられる。
佐賀県の観光地
吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)

吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されている。1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された弥生時代の大規模な環濠集落跡で、現在は国営吉野ヶ里歴史公園となっている。
吉野ヶ里遺跡の特徴とされるのが集落の防御に関連した遺構である。弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠ができ、V字型に深く掘られた外壕は総延長約2.5キロメートルになる。壕の内外には木柵、土塁、逆茂木といった敵の侵入を防ぐ柵が施されていた。また、見張りや威嚇のための物見櫓が環濠内に複数置かれていた。大きな外壕の中に内壕が2つあり、その中に建物がまとまって立てられている。
呼子朝市(よぶこあさいち)

呼子朝市は、唐津市呼子町呼子朝市通りで開かれる朝市。石川県輪島市の輪島朝市、千葉県勝浦市の勝浦朝市、岐阜県高山市の宮川朝市に次ぐ規模と歴史があり、日本四大朝市とも称される。
大正時代に呼子に商店街が形成され、それまでの行商が商店の軒先に定着して販売するようになった。さらに呼子港に大きな船が着くようになってから人が集まり、朝市として機能するようになった。もとは呼子や近隣の島々の住民の生活型朝市だったが、国定公園の指定やイカのブランド化など、観光客が集まる観光型朝市となっている。朝市には魚介類、季節の野菜や花、果物などの品が並べられる。「朝市通り」と名づけられた200mほどの通りに開かれている。

長崎県の観光地
端島(はしま)

端島は、長崎県長崎市(旧:西彼杵郡高島町)にある島。通称は軍艦島。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅も建造されるなど、1960年代には東京以上の人口密度を有していた。1974年(昭和49年)の閉山にともない、島民が島を離れてからは無人島である。
2015年(平成27年)、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、端島炭坑を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコの世界文化遺産に登録された。
大浦天主堂(おおうら てんしゅどう)

大浦天主堂は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂である。江戸時代幕末の開国後、1864年(元治元年)に竣工した。日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。正式名は日本二十六聖殉教者聖堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
1953年(昭和28年)、国宝に指定された。また、2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まり、2018年(平成30年)に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つである。
熊本県の観光地
熊本城

熊本城は、肥後国飽田郡熊本(熊本市中央区)にあった安土桃山時代から江戸時代の城。別名「銀杏城」。
加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家の居城だった。明治時代には西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失したが、 宇土櫓を始めとする櫓・城門・塀が現存し、13棟(櫓11棟、門1棟、塀1棟)が国の重要文化財に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されている。
天守は1960年に鉄筋コンクリート造で外観復元され、内部は「熊本市立熊本博物館分館」となっている。2000年以降は門や櫓、御殿の一部などが木造で復元された。
2016年4月の熊本地震の際に、多くの石垣が崩落したほか宇土櫓などの文化財建造物、大小天守などの復元建築が被災した。
尚、加藤清正は秀吉の朝鮮出兵の際、朝鮮半島で虎を退治し、漢方薬としても使われる虎の肉を秀吉に送ったとされている。
天草諸島

天草諸島は、熊本県と鹿児島県にまたがる諸島である。別称は苓州・苓洲(れいしゅう)。全体の面積は約1000km2、人口は126,445人。上島と下島を主島とする。下島は面積574.01km2であり、本州など主要4島を除く日本の島では8番目に大きい。
かつてキリスト教(カトリック)が広がり、キリシタンの島として知られ、現在も3か所の教会がある。
永禄9年(1566年)、修道士ルイス・デ・アルメイダが志岐氏当主の志岐鎮経に招かれ、キリスト教がもたらされた。志岐には教会が建てられ宣教師も来島し、永禄11年(1568年)と元亀元年(1570年)には宗教会議も行われた。当時、信者は1万5000人、教会堂は30あまりもあったという。
豊臣秀吉が九州平定を成し遂げると、肥後南半国の領主としてキリシタン大名の小西行長が下向するとその与力とされた。関ヶ原の戦いの後、敗れた小西行長は斬首され、天草は唐津藩の飛び地となる。領主寺沢広高は検地を行い天草の石高を4万2千石とした。しかしこれは実際の生産高の倍にあたり、そのため過酷な税の取り立てとキリシタンの弾圧が行われた。さらに飢饉が続いたことも要因となって、寛永14年(1637年)、島原・天草の乱が勃発した。
大分県の観光地
別府温泉

別府温泉は、大分県別府市内各地にある温泉の総称。特に古くからある由来の異なる八つの温泉郷は別府八湯(べっぷはっとう)と呼ばれている。源泉数2,217本、温泉湧出量毎分 8,3058 Lともに日本一。別府地獄めぐりなど観光スポットも充実しており、毎年800万人を超える観光客が訪れる。JR別府駅周辺に位置する駅に近く交通の便がよい。『豊後国風土記』や『伊予国風土記』、『万葉集』にも記述があり、この温泉地の歴史の古さがうかがえる。

由布院温泉(ゆふいんおんせん)

由布院温泉は、大分県由布市にある由布岳の麓に広がる温泉地である。源泉数879本、温泉湧出量毎分38,600Lは、別府温泉に次ぐ全国2位。 「由布見通り」や、金鱗湖(きんりんこ)に続く「湯の坪街道」には、雑貨屋やレストランが並び、周辺には美術館が点在する。広い範囲に温泉があるため、旅館が集積しておらず、ゆったりとした町の造りをしている。尚、この地域には開発規制により高層の巨大旅館・ホテルがない。安価な値段で入浴できる共同温泉も多く、数多くの調査で九州の温泉の第1位に選ばれていて、女性に人気が高い。
宮崎県の観光地
宮崎県の観光地
高千穂神社(たかちほじんじゃ)

高千穂神社は、西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社。主祭神は一之御殿(いちのごてん)の高千穂皇神(たかちほすめがみ)と二之御殿の十社大明神。
古くは「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」と称されて来たが、1871年(明治4年)に「三田井神社」に改称、その後1895年(明治28年)に高千穂神社と改称した。
鵜戸神宮(うどじんぐう)

鵜戸神宮は、日南市にある神社。 日向灘に面した断崖の中腹の岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要がある。境内地を含む付近の海岸は、海食洞や波食棚が多くあり名勝に指定されている。
主祭神は日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)。日向三代の3代目で、初代天皇とされる神武天皇の父。
日向三代(ひむかさんだい/ひゅうがさんだい)とは、地神五代(ちじんごだい)である天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、火折尊、鸕鶿草葺不合尊の5柱の神のうち、皇室の祖が日向にあった、瓊瓊杵尊・火折尊・鸕鶿草葺不合尊の3柱の神々の時代である。

鹿児島県の観光地
桜島

桜島は、鹿児島湾北部に位置する標高1,117 m東西約12km、南北約10 kmの火山。鹿児島県指定名勝。
かつては、名前の通り島だったが、1914年(大正3年)の大正大噴火により、鹿児島湾東岸の大隅半島と陸続きになった。桜島火山は鹿児島湾北部に位置する直径約20kmの姶良カルデラ南縁付近にあり、このカルデラは2.9万年前の巨大噴火で誕生し、その3千年ほど後に桜島火山が誕生した。桜島火山は有史以来頻繁に繰り返してきた。噴火の記録も多く、現在もなお活発な活動を続けている。海の中にそびえるその山容は、鹿児島のシンボルの一つとされ、観光地としても知られている。
指宿温泉

指宿温泉は、鹿児島県指宿市東部(旧国薩摩国)にある摺ヶ浜温泉(砂蒸しで有名)、弥次ヶ湯温泉、二月田温泉などの温泉群の総称。鹿児島県内有数の観光地であり、多くの観光客、宿泊客を集めている。農業や養殖などへの温泉利用も盛んであり、温泉の9割が産業利用されていた時期もあった。また、1960年頃から始まったハネムーンブームの中、「東洋のハワイ」と呼ばれたて賑わった。
屋久杉

屋久杉は、屋久島の標高500メートル以上の山地に自生するスギ。一般に、杉の樹齢は長くても500年程度であるが、屋久杉は桁外れに長い。栄養の少ない花崗岩の島に生える屋久杉は成長が遅く木目が詰まっており、降雨が多く湿度が高いため、抗菌作用のある樹脂分が多く腐りにくい特徴を持つ。そのため樹木の寿命が長いといわれ、樹齢2000年以上の大木が多い。これまで確認されているなかで最大の幹周り16.4mを持つ樹齢2000年から7200年ともいわれる縄文杉、紀元杉やウィルソン株が有名である。
沖縄の観光地

琉球王国のグスク及び関連遺産群は、沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成されるユネスコの世界遺産である。2000年11月30日に、日本で11件目の世界遺産として登録された。
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)、座喜味城跡(ざきみじょうあと)、勝連城跡(かつれんじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、首里城跡(しゅりじょうあと)、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、識名園(しきなえん)、斎場御嶽(せーふぁうたき)。

