正解は ③ なごや城です。
佐賀県唐津市鎮西町名護屋には、かつて名護屋城がありました。
この名護屋城は、1591年に豊臣秀吉が朝鮮出兵の際の拠点として、黒田官兵衛らに命じて築城されています。実際ここを前線基地として、文禄の役(1592年~1593年)、慶長の役(1597年~1598年)で、朝鮮半島への出兵が行われました。
この出兵には、宇喜多秀家、加藤清正、黒田長政、島津義弘、福島正則、長宗我部元親、毛利輝元、細川忠興、藤堂高虎等、名だたる戦国武将が参加し、十数万人が海を渡ったとされています。この時、徳川家康は出兵していません。
その後、1598年豊臣秀吉の死によって大陸進行は中止となり、名護屋城も廃城となりました。秀吉は自身の地元である那古野と同じ、名護屋という地を奇遇に感じ築城を決めたそうです。城の周囲には城下町が築かれ、人口は10万人を超えるほどでした。現在でも陣跡の遺構が見られます。