滋賀県クイズ
Q.滋賀県近江八幡市には、織田信長の居城として有名な安土城跡があります。1582年(天正10年)、明智光秀の謀反により本能寺で生涯を終えた、信長の最後の言葉とされるのはどれでしょう。
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滋賀県の概要
滋賀県は、近畿地方に位置する県。県庁所在地は大津市。
人口は約141万人で全国第26位。面積は4,017.38km2で全国第38位。
主要都市は、大津市人口約34万人。草津市人口約14万人。彦根市人口約11万人。
県の木、モミジ。県の花、シャクナゲ。県の鳥、カイツブリ。
かつての令制国の近江国。滋賀の由来は諸説あり、「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説や、砂州または低湿地を意味する「スカ(砂処)」に由来するという説、志賀島の「シガ」に由来するという説がある。
滋賀県の経済
滋賀県の県内総生産は約6兆7400億円で全国第23位。
滋賀県の観光地
彦根城
彦根城は、近江国犬上郡彦根(滋賀県彦根市)にある城。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡である。天守が国宝指定された5城のうちの一つでもある(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。
江戸時代初期、彦根山に井伊氏の拠点として築かれた平山城。山は「金亀山(こんきやま)」の異名を持つため、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれた。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。
徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、石田三成の居城であった佐和山城に入城した。佐和山城は名城であったが、直政は中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌ったという。このため琵琶湖岸に近い米原市磯に居城を移すことを計画していたが、1602年(慶長7年)に死去した。家督を継いだ井伊直継が幼少であったため、家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に面した彦根山に彦根城の築城を開始した。
幕末に大老を務めた井伊直弼も、35歳までこの城下町で過ごしている。
延暦寺
延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にある比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院。山号は比叡山。本尊は薬師如来。正式には比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)。
最澄(767年~822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年(平成6年)には、古都京都の文化財の一部として、ユネスコ世界文化遺産にも登録された。
最澄の開創以来、高野山金剛峯寺と並んで平安仏教の中心寺院であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。
延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、多くの僧が若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
また、「十二年籠山行」「千日回峰行」などの厳しい修行が続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。
安土城跡
滋賀県近江八幡市には、織田信長の居城として有名な安土城跡がある。
1582年(天正10年)織田信長は、明智光秀の謀反により本能寺で生涯を終えた。この時残したとされる信長最期の言葉は、「是非に及ばず」とされている。 これは「善悪をあれこれ論じるまでもなく、そうするしかない、仕方がない」という意味である。
滋賀県の郷土料理
鮒ずし(ふなずし)
鮒ずしは、日本古来の“鮓(すし)”の代表的一種。古代から琵琶湖産のニゴロブナ(煮頃鮒)などを主要食材として作られ続けている滋賀県の郷土料理である。滋賀県の特産品で、現存するなれずしでは最も古い形態を残していると考えられている。東南アジアの山岳地域にみられる魚の貯蔵法に起源をもつとされる。
原料魚として子持ちのニゴロブナを用いるが、その製法は業者や家庭によって異なる。鱗、エラ、内臓を取り除いた後、腹腔に塩を詰め込んで桶に何層にも並べで塩漬けし、それを水洗いしてから米飯に塩を混ぜたものに漬け込んで熟成させたものである。
滋賀県内にはニゴロブナを利用した鮒ずしのほか、ウグイ、ハス、モロコ、アユ、ビワマス、コイ、ドジョウなどをなれずしにする文化があり、なれずしは1998年(平成10年)に滋賀県無形民俗文化財の「滋賀の食文化財」となっている。
ふなずしの歴史は奈良時代にまで溯り、長屋王家木簡や二条大路木簡に「鮒鮨」や「鮨鮒」の語がみえている。
近江牛(おうみうしまたはおうみぎゅう)
近江牛は、黒毛和種の和牛が滋賀県内で最も長く肥育された場合に許される呼称であり、そのウシからとれる牛肉の呼称でもある。日本での肉用牛としての史実として残る歴史が400年と圧倒的に長く、三大和牛の1つとされる。他のブランド牛が限られた狭い地域あるいは個人の飼育であるのに対して近江牛は滋賀県全体での生産の為、年間出荷頭数は圧倒的に多く優れた肉質が特徴である。
1590年(天正18年)に秀吉の小田原攻めのとき、高山右近が蒲生氏郷と細川忠興に牛肉を振る舞ったとされる史実が残っている。江戸時代には彦根藩は幕府に太鼓を献上しており、その太鼓に使う牛革を確保するため、牛の畜産を営みその屠殺を許可されていた。この事から、牛肉を食べる文化が発達した。
近江牛を扱う駅弁には、「食べ物の恨みは恐ろしい」とのキャッチコピーが書かれている。これは、近江牛を楽しみにしていた水戸藩士が、江戸幕府への近江牛の献上を断った近江彦根藩藩主・井伊直弼を恨んで桜田門外の変で討った、とする俗説に基づいている。
滋賀出身の人物
武将・藩主
小堀遠州 藤堂高虎 石田三成 小早川秀秋
浅井長政 井伊直弼
公人・文化人
宇野宗佑(第75代内閣総理大臣) 尾木直樹(教育評論家)
田原総一朗(ジャーナリスト) 森田まさのり(漫画家)
芸能人・ミュージシャン・俳優・タレント
山崎まさよし 西川貴教(歌手・ミュージシャン)
高橋メアリージュン(モデル)
松居一代(タレント) 宮川大輔
野性爆弾 ロッシー クッキー(芸人)
スポーツ選手
西崎幸広 則本昂大 松田宣浩(野球)乾貴士 井原正巳(サッカー)
桐生祥秀(陸上短距離) 太田雄貴(フェンシング)
山中慎介(ボクシング)